Sayalay's Dhamma book

テーラワーダ系仏教書の翻訳は2019年夏を持ちまして終了致しました。これまでに翻訳しました内、23冊は<菩提樹文庫>にてPDF版を読むことが出来ます。今後、翻訳文を掲載する予定はありませんが、偶には<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。学問的な議論ではなく、ただの雑談、独り言です、お楽しみ頂ければ幸いです。2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得ました。 初心者の疑問にはコメント欄にて対応します。

般若の独り言~質問:パオのソータパナの人数は?

ブログの読者の方から、「パオのソータパナ(預流。

初果)の方々は、一体どれくらいいるのか?」

というご質問を受けました。

人数を特定するのは、非常に難しいです。

状況としては、20年前、私が緬甸の東部モーラミャインのパオの本山で修行していた時の体験で、一日二食の食事の準備と配膳をしていた若い出家女性たち(サヤレー)は、すでに<チューラ(小さい)・ソータパナ>で、もう凡夫に戻る事がないので、修行の手を緩めて、僧院の雑用を担当しているのだ、という説明を聞きました(「パオのソータパナ(2)参照」)。

この時、雑用を担当していた若いサヤレーは、10名ほどいたかと思います。

実は、「パオのソータパナ(1)」で出てくる、16観智修行中の男性修行者の話は、4年前、ヤンゴンのモービー分院での体験です。

それを前提に書きますと:

(1)20年前のモーラミャインのパオ本山では、インタビューは男性(山の上)、女性(山の麓)、全く別々に行っていました。

故に、当時のパオ本山において、私が比丘や男性在家者の方々の、修行の進展状況を、知り得る状況にはないです。

4年前、モービー分院では、偶然が重なって、男性修行者が、クムダ・セヤドーに、上記のように報告するのを、見聞きしました。

(2)自分の弟子が、16観智を修行しているのに、己自身は、初禅にも入れない、などとは考え難いので、パオの瞑想指導者は、少なくともチューラ・ソータパナくらいは行っているのではないでしょうか?(あくまで推定です)

では、それ程の、レベルの高い指導者は何人くらい?

相当数いると思います。

パオ・セヤドーがパオ・メソッドを掲げて指導を始めてから、すでに30年くらい経っていますし。

(3)パオでも、他の僧院(タイ等も)でもそうだと思いますが、悟った人(チューラ・ソータパナ以上の人)は、自分で「私はソータパナだ」「私は悟った」などと言わないのです。

特に、比丘の戒律は厳しくて、在家に自分がどこまで悟ったか、言ってはならない、という決まりがあります。

ただ、インタビューは集団で行いますので(男女別々の場合が多い)、横で聞いていて「ハハ―、この人、すごいな」と思う事はあります。

(4)パオ・セヤドーは、自著の中で「初禅~四禅に入れる人で、神通を修行したい人は申し出る様に。私が教えます」と言います(但し、神通そのものは、無常・苦・無我の悟りとは関係がありません。ゴータマ仏陀も「人に神通力を見せるのは、恥じ」と言っています。神通力は神秘でもなんでもないです。)

では、パオ・セヤドーのレベルは?

推し量るのも失礼なような・・・(笑)。

(5)当時、パオ本山には、500~800人の修行がいましたし、国内の分院を含めると、修行に励む比丘、サヤレー、在家の方々は、相当数いると思います。

パオ・セヤドーが現在建設中の、メイミョウのパオ(国際)森林僧院(仏教大学を含む)の定員は1万人と聞きました。

これらの人々を指導する、正式に任命された指導者の方々が、私のような凡夫とは、とても思えませんが(笑)

(6)定義では、涅槃体験をすると阿羅漢ですね(拙訳『阿羅漢向・阿羅漢果』参照の事)。

相当高いレベルまで修行している人で、涅槃体験は未経験という人は阿羅漢向です(『初果』(中国語版)参照。未訳)。

ただ、タイのアチャン・チャー(遷化)のように、阿羅漢と呼ばれるのを非常に嫌う人もいます。ですから、

誰がソータパナ(初果)で、

誰がサターガミ(二果)で、

誰がアナーガミ(三果)で、

誰が阿羅漢(四果)かという事は、ほぼ知ることはできないし、詮索してはいけない事だ、と思って下さい。

(7)己の指導者がソータパナ以上であれば、嬉しいし、信頼して附いていけるとは思いますが、直接本人に確認する事は失礼ですし、ご本人も(戒律の縛りのため)お答えにならないと思います。

指導者の見つけ方は、

指導者ご本人がよく戒律を守っている事(在家の方も、出家比丘の戒律を学び、理解しておくのがベターです)。

自分の質問にきちんと誠実に答えてくれる事。

後は、相性が大きいと思います。

英語の出来る指導者なら、弟子も英語ができて、直接英語で会話ができるのが理想です。

通訳を通して修行するのは、致し方ない面もありますが、コミニケーションは万全ではない、リスクはあると承知しておいて下さい(アビダンマの専門用語を、原稿なし、即興で通訳できる人は非常に少ないです)。

見聞録のレベルですが、修行の参考になれば幸いです(指導者への盲従だけは止めましょう)。

    <緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>