子供の時に、日本の、大乗系の仏教書をよく読みました。
禅宗系の僧侶の行跡は、清貧と孤高な雰囲気が伝わってきます、一休宗純さんとか、良寛さんとか。
親鸞さんも孤高な感じですが、その子孫は、なかなか賑やかです。
東南アジアの原始仏教ーーテーラワーダで出家すると、まず、清貧は確実です。毎日の食事、日用品は托鉢に頼りますし、何かの仕事、商売はできませんし、戒律を守って、日々精進(瞑想)あるのみ、です。
東南アジアでは、出家の比丘やサヤレー(緬甸の呼称。タイではメーティラシン、略してメーチ)は、人々から尊敬され、尊重されますから、孤独という事はありませんが、阿羅漢くらいになると、孤高かもしれません、悟りの内容が高度で、一般の人々は、なかなかついていけませんので・・・勿論、大変尊敬されて、一たび法話となれば、大勢の人々が集まって来ますが。
子供の時に仏教書を読んで出会った、清貧と孤高という言葉は、悟りを目指して修行する出家僧侶の代名詞でもあるのでした。
今の日本の仏教界にそれがあるかと言いますと、少々疑問ですね・・・自浄作用もあるのかどうか、ちょっと心配です。