Sayalay's Dhamma book

中国語で書かれた仏教書(主にテラワーダ、南伝仏教系)を日本語に翻訳して公開。たまには<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。                    2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得る。 コメント欄はどなたも利用OKですが、リトリートに入っている時は回答致しません。

般若の独り言~たまには哲学

宗教とくに仏教(テーラワーダ)と哲学は、相性が悪い。

テーラワーダ仏教は、戒を守り、定を育成し、慧を増長させよ、という実践的な教えで、仏教徒は、哲学的な思考の迷路に嵌ってはいけない、実践が大事、という訳です。

確かに私もそう思うのですが、しかし、昨日、WEB上で竹田青嗣氏の本の紹介文を読んでいて、ふと考えました。

彼が哲学を考え始めたきっかけは、青年の頃(1960年代)に見た在日朝鮮人在日韓国人二世たちの対立、一方は社会主義北朝鮮がいいといい、一方が民主主義の韓国がいいといい、双方が絶対に自分の意見を譲らない様子を見てから、との事でした(竹田氏も在日で、しかし、本人はどちらの側にもつく気がしなかった)。

彼は、同胞のこの種の争いを「信念対立」と呼んでいるのですが、実は、この事は仏教界でも「あるある」ですよね。

かく言う私も、若い時は、大乗仏教・・・特に浄土系が嫌いだったのですが、最近少し考えが変わりました。

浄土系でいう<念仏>をテーラワーダの<仏随念>に置き換えると、浄土宗は、テーラワーダの「仏随念を修する事を通して(仏への)信を確立し、死後天界に生まれ、来世はそこにおいて更なる向上を目指して修行しよう」という考えと、非常によく似ている事に気が付きます(大乗の元ネタは、パーリ経典の中に見つかることが多い。たとえば、大乗の<6ハラミツ>はテラワーダの<10ハラミツ>と極似、法華経の<7つの宝>はテラワーダの<7覚支>の比喩的表現等)

若い頃、または年をとっても、ある時点で自分が聞いた、または誰かに教えて貰った何らかの思想・信条が正しい(また正しくない)と思ったときに、どうしても、それに執着してしまう。

それは、己がもう一つ余分に、もう一つ別の<エゴの鎧>を着こんだ瞬間なのだ、という事に気が付かない(しかし、<エゴの鎧>というものは、仏教徒が一番避けなければならない心理的位相だと思います。)

そんな訳で、己の頭の中を相対化する為にも、たまには哲学を勉強してみようかな、と思った次第・・・哲学の持つ負の面、どうしても<頭の体操>になりがちな部分に気を付けながら。

   <緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>