<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
どの様な時、場合であっても、光明が出現さえすれば、それは生滅智の段階に到達したのだ、と言えるのであろうか?
その様には言えない。
唯一生滅智の時にのみ光明がある、という言い方は、正確ではない。
その他の観禅心と止禅心においても、光明は存在する。
ただし、比較してみるに、生滅智の段階で生じる光明は、それ以前に生起する光明とは異なっている。
もし、異なっているとして、それはどの様に異なるのであるか?
この点に関して、禅修行者は己自身の修行が(+その段階に)到達した時に、理解するであろう。
(3-1につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。
<本雅難陀尊者(Ven. U Puññānanda)著 『禅修指南』Meditation Guide 第二版
中国語→日本語 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>