2017-07-01から1ヶ月間の記事一覧
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 多くの修行者は、よくこのような質問をする: 「私は多くの先生から学んだ方がよいのか、それとも、ただ一人の先生から学んだ方がいいのか?」 その答えは: 「初心の修行者は、優秀な、一人の先生につくのがよい…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 第三章 教師と学生 良い師の特徴 業処を(+決定して)与える善友(良い師)とは: 親切認真可敬者 (親身で、まじめで、尊敬できる人)、 講説温和言語者 (話すときは、言葉が温和な人)、 能做深奥談論者 (奥…
中国語の仏教書を翻訳していて、よく「覓食難(mi・shi・nan)」という言葉に出くわします。 輪廻から解脱したいと願う理由は、基本的には四聖諦で決まりですが、凡夫としての具体的実感として、この「覓食難」は言いえて妙だと思います。 その直接的な意味は…
先日、6月の中旬、神戸に行ってきました。 小中一貫校の同窓会があったので。 神戸のインターナショナル・スクール(華僑系)の一貫校ですから少人数制で、そのため、三クラスの全員が顔見知り、全員幼馴染み、ということになりますが、実は、もう本当に長い…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> そして、更に重要な事は、良い教師なら、あなたが最終的に、真正なる定を獲得することができるように、あなたに対して、正しい心構えでもって定の要因(定の修習)を育成するべきであることを、教えるであろう。 …
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 上記の、《増支部》の中の経文と、《清浄道論》の補足から、我々は、以下のような、非常に重要な結論を、得ることができる: (一)定の修習において、最も基本的な要素とは、煩悩のない心であり、その他の基本的…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> ここにおいて、(一)と(二)のこの二項目は、以前に説明した解釈によって、理解する。 (三)は、安般念禅相または遍相か、または何かの禅の目標を獲得することに優れている事。 (四)は、精進など等が過剰す…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 我々が「定の修習において、如何にして更に一歩進んで放下の原則を運用するのか」に関して討論する前に、我々は、先に、定の修習における要素について、話し合ってみたいと思う。 (一)この世間において、一因が…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 定の修習において如何にして更に一歩進んで放下(=手放す)の法則を運用するのか? 【引証】順生(=流れに沿って正しく生きる)の因と縁を具備すれば、定はすなわち自然に生起するーー《増支部・11法集・第2経…