Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

人生は夢>還暦おばんの仏教談義―181

ちょっと立て続けにブログを書いてしまいまして、「読みにくいなぁ」とお思いの方、すみません。

最近ずっと気になっているキーワード<人生は夢>について書きます(書いておかないと気になって落ち着かないから~笑)。

普通<人生は夢>なんて言うと、「そうそう、起業して社長になりたいとか、人を導く仕事がしたいとか、玉の輿に乗りたいとか、若い時の夢は大きい方がいいし、中年になっても、会社で重要な役につくとか、趣味がプロ並みになるとか、地域に貢献するとか、人間、夢がある方がいいよね」とお考えの方が多いと思います。

私が今言っている<人生は夢>というのは、意味がちょっと違います。

瞑想しているとわかってくるのですが、<人生は、文字通り、あなたが勝手に見る(生理的な)夢に過ぎない>のです。

夜、目を瞑って眠っていると、夢を見ます。それは昼間に自分が見た色々な光景に、自分の感情を載せたもので、自分が王様になった話とか、飛行機から飛びおりたけど怪我しなかったとか、荒唐無稽なものであっても、昼間の出来事の印象を、夜、脳がそれらを編集して、夢として、あなたにみさせてくれている訳です。

では、昼間、われわれが正気を保ちつつ、自己を取り巻く環境を観察し、Aのいう事に賛成し、Bのいう事に反対し、Cの行動に喜び、Dの行動に激怒したりしている訳ですけれど、実はそれも夜見る夢と同じ、目、耳、鼻、口(舌)、皮膚の五つの門から入ってくる情報を、脳内で処理して、ああでもない、こうでもない、と言っているだけなのですね。

勿論、飛行機から飛び降りても無傷だったみたいな、非科学的、荒唐無稽な物語は、昼間の夢には出てきませんが、それでも夢は夢。昼間の意識も、夜、寝ている間の意識も、それの依って立つ基盤・構造・原理は、同じものなのです。

アメリカのネイティブ・インディアンは、朝起きて、その日一日の行動を決める時に、前夜に見た夢を参考にして、決めます。昼間の意識(昼間見る夢)は、嘘が多くて、参考にならないのだそうです。私は若い時にこの話~ネイティブ・インディアンの叡智~を読んで、とても感銘を受けて、彼らの言っている事が何を意味しているのか、ずっと考えてきました。

そして、長年瞑想を続けてきて、この事が感覚的に分かってきました。かといって、「人生どうせ脳が見る夢に過ぎないのだから、何が起こっても平気」というほどは、悟ってはいません。

人生がどうせ、<脳が(心と協働して)見る夢>に過ぎないものであっても、できうれば、いい夢をみたい。そして、たとえ人生が自分にとって悪夢であっても、それはそれで、「それは夢にすぎないのだよ」と、少しは自分に言い聞かせられるようになれたらいいな、と思っています(本当に悟って、腹落ちして、何があっても平然と生きていく、というのは大変に難しい事ですね。なかなかできるものではありません)。

追補:脳は、脳だけで夢を見る事はできません。「脳が夢を見ている事」を認識するためには、「心」が必要です。人生は、正確にいうと「脳と心が協働してみる夢」なのです。そして、この<協働>の事を、仏教では<縁起>と言います。ですから、仏教では、<人生における、すべての事象・現象は縁起であり、故に空である>と、いう訳です。