Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

是誰庵日記>トラウマと座禅

今日は、ちょっと遠くの公民館で、健康立市宣言推進大会があり、無料送迎バスが出る事もあり、参加してきました。

この一年間、健康に関して活躍した団体と個人への表彰があった後、水澤都加佐先生の、メンタルヘルスに関する講演がありました。

先生は「子供は色々な形でトラウマを抱え込んでいる」「トラウマを抱え込まないように育てるのが親の責任」「トラウマを抱えながら大人になってしまったら、自助団体に助けてもらおう」とか、色々お話されました。

私は、私の体験からいうと、トラウマ解消には、座禅・瞑想が一番いいと思っています。他人に自分の子供時代に起きた嫌な事件のトラウマをいくら聞いてもらっても、他人にとって、それは所詮、他人事なのです(トラウマをエンドレスのごとく聞かされる方も結構つらいし~笑)。

30年ほど前の事、私がタイの森林寺院で、真夜中に座禅・瞑想していた時、自分の子供時代の事を思い出して、泣いてしまった事があります。祖母が台湾からの移民で、日本語が出来なかった為、祖母が買い物に出かける時は、幼い自分(小学校3年生くらいから)が通訳として、いつも祖母に付き添っていました。そのため、私は放課後まっすぐに家に帰るのが当たり前になり、放課後友達と遊んだ経験がありません。

「ああ、我ながら健気な子供時代だったなぁ」と思うと、タイの山奥のお寺の池の前のテラスに座って泣けて泣けて仕方なかったです。ところが、私を驚かせたのは、その時のタイ人の行動。お月様も出ていない真っ暗な暗闇の中で、私にそっとテッシュを渡してくれる人がいたのです。私は「ああ、私は愛されいるんだな」と思うと、またまた泣けてきました。

水澤先生は「ウツ等は、薬に頼るより、自助団体に頼って欲しい」と言っていましたが、最終的に自分の足で立つには、結局は自分が自分自身と向き合わねばならない、という事は肝に銘じておいた方がいいと、私は思います(ウツなどの方は、瞑想しない方がよい場合もあります。上記はあくまで私的な経験のご紹介であって、座禅・瞑想が万能ではない事は一言申し添えます)

私の周囲で、座禅・瞑想を勧めても、実践する人はほとんどいません。

座布団一枚あればできるのにと思うと、とても残念です。

追補:祖母の名誉のために言いますが、祖母が私に通訳を強要した事はありません。祖母や親戚、八百屋のおじさん・おばさんに「小さいのに偉いね」と褒められて、つい頑張りすぎちゃった、というのが真相です。