南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

アチャン・チャー一日一話~5>「薬」

 タイの高僧アーチャン・チャー(92年遷化)の法話集(台湾伝承出版社)が手に入りました。P 18にこんな事が書いてあります。

 

《我々は、医者の処方した薬を飲まない病人を例にして、修行について述べることができる。薬瓶の上には、詳細な説明が書いてあるが、しかし、この病人が瓶の上に書かれた効用書きを読んでばかりで、実際に飲むことをしない。もし彼がずっとこういう態度であり続けるならば、きっと最後には死んでしまい、薬による治療効果を得られない。彼は死亡する前、医師の事を無能で、薬も効果がなかったと恨み、根に持つかもしれない。彼は医師をペテン師だと思い、それらの薬が全く効果がなかったというかもしれないが、彼は自分が薬瓶の観察と瓶の上に書かれた効用書きを読むのに時間を浪費し、薬を飲む必要性を認識しなかった(事が問題なのだという事を知らない)。もしこの病人が、医師の勧めを聞き入れて、規定に従って時間通りに薬を服用したなら、彼の病気は全快したであろう。

医師が薬を処方するのは生理的な疾病を治すためであり、ゴータマ仏陀の教えは、すなわち、心理的な疾病を治療する処方箋であり、(仏陀の処方箋は)心を自然で健康な状態に戻すことができるものである。故に、仏陀は心理的な疾病を治す医師、と称する事ができる。我々は、皆、全員が心理的疾病を有しているのであるから、これらの疾病を(自分の中に)見る時、薬でもって自分の病を治すがごとく、合理的に仏法を求めて自分の拠り所としないことがあるだろうか》(「森林里的一棵樹」より)

 

私、ブログ主が長年仏教を学んでいて、一番痛感するのは、我々は、仏教の歴史や仏教用語や概念を学んでばかりで、自分が変わろうとしない、という事(これを禅宗では口頭禅という)。

自分が変わる・・・これほど勇気を必要とする行為はない。しかし、仏陀のダンマを自分の中に生かそうとするなら、自己変容・・・潜在意識からの徹底した自己変容は絶対に欠かせない。

身体の病は、勇気を出して苦い薬を飲むことによって治り、心理的な病は、勇気をもって仏陀の薬を飲むことで治る。

仏陀のダンマを飲んで自己を変容させた者だけが、仏陀のダンマを理解し、活用する事ができる。

                      (翻訳文責 Pañña-adhika sayalay)
                              (#5-150530)