Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

是誰庵のひとやすみ~9>作意と妄想

先日、「パオ・セヤドー問答集」を翻訳していて、如理作意、不如理作意という言葉が出てきました。我々は、一分一秒、いやもっと短い時間、絶え間なく<作意>しています。私はこの事に、以前、東京の某宿泊瞑想会に参加した時、気が付きました。

この瞑想会では、瞑想期間中、朝食と昼食が供されるのですが、ある日、台所から、何やら香って来ました。私は「あっ、今日の昼食はカレーだ!」と思ったのです。

しかし、瞑想室で座っている私が、その香りを<カレーの香り>と判断するのは、作意であり、妄想です。後で、本当にカレーが出てきたので、<予想が当たった>とは言えますが、瞑想室にいた時点では、これ、完全な妄想。

不如理作意と如理作意の具体的な例として・・・。我が家にはインコのモモちゃんがいます。彼女(彼かも?)には噛み癖があります。時々思いもよらない時に、私を<ガブッ>と噛みます。一度ひどく噛まれた時、私は「痛い!」「私から離れて!」と思う間もなく、手を振り払って、彼女を畳にたたきつけてしまいました。これは、彼女の命に係わる大問題で、不如理作意ですね。それ以降、私は、彼女が噛んで来たら、軽いサマーディに入り、細心の注意を払って「痛いゾ」と確認した後、自分の心に不如理作意ではなくて、如理作意が起こる(起こす)ように気を付けています。「痛いけど、そのまま、私の手に乗ってていいよ」と彼女にではなくて、自分に言い聞かせています(ちなみに、彼女は噛んだ後「アクシュゥ」「イタイ?」って言います~笑。ご挨拶のつもりなんですね・・・^^;)

自分の心に<作意の立ち上がる瞬間>、妄想を妄想と気が付いて、それを放置、手放す事ができたら(または如理作意ができたら)、人生は相当楽に、明るくなります。

これが、私が誰にでも、朝夕の座禅・瞑想を勧める理由です。