翻訳『親知実見』#31-17
問3-11:我々が第四禅に到達して、無明(avijjā)
<注150>を取り除く以前、過去の悪い習慣によって、非常に多くの不善の思いが生起すします。
例えば、(リトリートの期間以外の)日常生活の中において、貪愛と憤怒が常に沸き起こります。
我々は、不浄(asubha)または慈心禅(mettābhāvanā)の修習を通して、それらを取り除くことができますか?
あるいは、禅修行の対象に専注する事に専念して、これらの不善の思いに注意を払わない様にすれば、それらは自ずと、消失しますか?
答3-11:不善業は、無明(avijjā)を潜在的因とし、不如理作意(ayoniso manasikāra)を近因とする。不如理作意の危険性は非常に大きい。もし、あなたが不如理作意を如理作意に転換することができるならば、貪愛または憤怒は、暫定的に消失する;もし、如理作意が非常に強くて力のある時、それらは、永遠に消失する可能性もある。
前の問答の中において、我々はすでに、如理作意と不如理作意に関しての説明は終えた。
あなたは、不浄または慈心禅の修習を通して、貪愛と憤怒を取り除くことができる。しかし、観智は、煩悩を断じ除く、最も佳い武器であり、それは、最も良質な如理作意である。
<翻訳文責:緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>