南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

翻訳『親知実見』#31-17

問3-11:我々が第四禅に到達して、無明(avijjā)

<注150>を取り除く以前、過去の悪い習慣によって、非常に多くの不善の思いが生起すします。

例えば、(リトリートの期間以外の)日常生活の中において、貪愛と憤怒が常に沸き起こります。

我々は、不浄(asubha)または慈心禅(mettābhāvanā)の修習を通して、それらを取り除くことができますか?

あるいは、禅修行の対象に専注する事に専念して、これらの不善の思いに注意を払わない様にすれば、それらは自ずと、消失しますか?

答3-11:不善業は、無明(avijjā)を潜在的因とし、不如理作意(ayoniso manasikāra)を近因とする。不如理作意の危険性は非常に大きい。もし、あなたが不如理作意を如理作意に転換することができるならば、貪愛または憤怒は、暫定的に消失する;もし、如理作意が非常に強くて力のある時、それらは、永遠に消失する可能性もある。

前の問答の中において、我々はすでに、如理作意と不如理作意に関しての説明は終えた。

あなたは、不浄または慈心禅の修習を通して、貪愛と憤怒を取り除くことができる。しかし、観智は、煩悩を断じ除く、最も佳い武器であり、それは、最も良質な如理作意である。

<翻訳文責:緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>