南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

翻訳『親知実見』#47-13

問7-12:作意(manasikāra)と七覚支(bojjhaṅga)の修行とは、どの様な違いがありますか?

答7-12:あなたが七覚支を修習する時、七覚支は、通常、作意を含む34個の名法の先頭にあるものである。

ある時には、この34個の名法は、「観智」と呼ばれる。というのも、第34番目の名法ーー智慧Pañña)が、最も主たる要素を占めるが故に。

この事に関連して、あなたは、以下の三種類の作意のある事を知らねばならない:

1)所縁が基本的原因の作意(ārammaṇa patipādaka manasikāra):

すなわち、作意心所。その作用は、所縁をして、明晰に禅修行者の心中において、顕現せしめる事。

2)心路が基本的原因の作意(vīthi paṭipādaka manasikā ra):

すなわち、五門心路(pañcadvārāvīthi)の中の五門転向心(pañcadvārāvajjana)。その作用は、五門心路が、みな、それらの、各々の所縁を縁に取れる様にする事。

3)速行が基本的原因の作意(javana paṭipādaka manasikāra):

すなわち、意門心路(manodvāravīthi)の中の意門転向心、及び五門心路の中の確定心(manodvārāvajjana)。

その作用は、速行(javana)の現起(現象)。

もし、それが如理作意である時、凡夫(puthujjana)と有学聖者(sekha)に関して言えば、速行は善であり、阿羅漢に関して言えば、ただの唯作(kiriya)になる。

それが不如理作意の時、速行は必ず不善であるが、しかし、この事は、阿羅漢には発生しない。

<翻訳文責:緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>