パオ・セヤドー講述「菩提資糧」(翻訳文)-101
このように省察する時、彼は、己の生命と身体に対して、
いかなる顧慮を持つこともなく、悟りの為に、それらを
捨て去ることができる。
故に、彼の身・口・意は、非常に容易に浄化され、昇華される。
菩薩は、このように己の身・口・意を浄化した後、善悪を分別
する智慧を擁する(+ようになる)。
法施が、できるようになる。
これが、菩薩が、布施波羅蜜を省察する方法である。
菩薩は、ただ単に、布施波羅蜜をどのようにして成就させよう
かと、省察するだけでなく、それは必ず、実践を伴うものである。
我々の菩薩が維山達拉王であった時、彼は自分の愛娘を、非常に
布施した。
我々の菩薩は、ただ単に、自分の外に属している親愛なる妻、
娘を布施として差し出すだけでなく、自己の生命をも、
その他の衆生に、差し出した。
その中の一つの過去世において、我々の菩薩は王子であった。
ある日、彼は森に出かけて行き、餓えてもうすぐ死にそうな母虎
と、彼女の三匹の小さな虎の子を見た。
その時、王子の心の中に、きわめて強い悲心が生じた。
彼らを救うために、彼は崖の上から飛び降り、自分の身体を
食物として、彼らに布施したのである。
これは、一種の至上の布施である。
我々の菩薩が動物であった時も、彼はこの種の布施をする事が
出来た。
ある時、我々の菩薩は、一羽の野兎であったが、
差し上げるために、帝釈天王が起こした焚火の中に、
彼は、喜んで身を投げたのである。
(+ )訳者。(つづく)
(<パオ・セヤドー講述「菩提資糧」>(1999年版)
中国語版→日本語 翻訳文責Pañña-adhika sayalay)