<仏教は人類にどのような
利益を齎しえるか(一)>
今夜の法話の題目は「仏教は人類にどのような利益を齎し得るか?」である。
なぜこのような題目を選んだのか?
というのも、人が最も関心をよせる問題であるからである。
人々は皆、楽しく生きたいと願い、悲しみはない方がよいと思う。
しかし、あなた方の今(+の生活)は、楽しいでしょうか?
ある時、ある人が仏陀に言った。
人は皆、楽しく生きたいと思っているのに、大多数の人々は皆、不愉快な心で暮らしている。
仏陀は、それは、嫉妬と吝嗇が原因だ、と答えた。
これらの煩悩によって、多くの人々は、己のためにのみ、楽しみを追及し、他人の利益と幸福には無関心であるだけでなく、ある時には他人をひどく傷つけることもある。
しかし、正しくない方法で楽しみを追い求めるならば、それによって齎される喜悦は少ない上に、却って多くの苦痛を齎すことなる。
最も残念なの事は、彼らには、己の間違いに気が付かない事である。
これは、彼らに何が善で、何が不善であるかを分別する能力がないからである。
あなた方は、事実はそのようではなく、正常な(+意識を持つ)人は、善悪の区別はつくはずだ、と思っているに違いない。
このことについて、私はあなた方に聞いてみたい。
早朝、あなた方は新聞を持ってきて読むでしょう。それはあなた方に何を教えているだろうか?夜、仕事から家に戻ると、夕食後、座ってテレビを見る。それらは一体あなた方に、何を教えているだろうか?
この二者は、あなた方に如何にして貪欲を増長させるかを教え、この種の欲楽が如何によいものであるかとか、どの種の享受が更に美しく妙なるものであるとかを、示しているのである。そのほかに、それは、あなた方に暴力も教える。
簡単に言えば、新聞とテレビの、そのほとんどの内容は、人に、如何にして貪欲、瞋恚、痴(=無知)を増長させるかという、歪んだ道理を教えている。そして、それらの影響の下に、多くの人々は、邪道に迷い込んでいる。
しかし、我々すべての間違いをマスメディアに押し付けることはできない。というのも、それは、一般大衆の好みでもあり、見解でもあるから。
物事の良しあしは、我々の見解だけで決定することはできない。我々は、仏陀の開示した多くの経典の中から、この点を理解することができる。
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(211-2につづく)。
訳者コメント:下線は訳者。仏陀の教えは非常に難しいと感じる時もありますが、嫉妬と吝嗇をやめれば人生は楽しい、というのは、分かり易いですね。実践は・・・簡単なようで難しくもあり、難しいようで簡単でもある、ですね。櫂より始めよ(笑)。
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<パオ・セヤドー講述「菩提資糧」1999年中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>