パオ・セヤドー講述「菩提資糧」(翻訳文)~211-12
「ここにおいて、学生、男性または女性が殺生を断じ、殺生から遠く離れ、こん棒と武器を捨て(+たとする):
彼は温和で、慈しみあり、一切の衆生に憐憫の心を持つ。彼はこの種の業を実践するが故に、身体が分解し、死亡した後、彼は善趣に生まれ変わり、天界にすら生まれ変わる(+こともある)。しかし、もし彼が天界に生まれないで、人間界に戻ってきたならば、どこに生まれ出ても、彼は長寿である。」
(+今夜の聴衆である)あなた方(+の中に)は、来世があるかどうか、懐疑している人もいるであろう。
この点に関して、あなた方はこのように思惟するべきである。
もし、来世がないのであっても、善の実践は、あなた方に利益を齎す:たとえば、安心して生活する事、名声が良くなる事、智者に讃嘆される事、後悔がないこと等々である。
もし来世があるならば、あなた方は来世において、更に楽しくなる。
これはちょうど、仏陀が《法句経》偈16で述べている通りである:
今世で喜悦を感じ、
来世で同じように喜悦を感じ、
善を行う者は、今世と来世において、
喜悦を感じる。
己の清浄なる善業を思い出すとき、
彼は喜悦を感じる、
非常なる喜悦を感じる。
反対に、たとえ来世がないとしても、悪を成せば、今世において、あなた方に苦痛を齎すことになる、たとえば:生きていて不安である、悪名が轟く、智者に指弾される等々。
もし、来世があったならば、あなた方は来世においてさらに多くの苦痛に出会う。これはちょうど仏陀が《法句経》偈16で述べている通りである:
今世で苦を受け、
来世で同じように苦を受け、
悪を行う者は、今世と来世において、
苦を受ける。
「己は悪業をなした」と思い致すとき、
彼は苦痛を感じる。
彼は更に多くの苦痛を感じる。
このこと(=仏陀の偈)に鑑み、あなた方は、善業のみをなすべきである:このようにすれば、あなた方は、今世と来世において、損失に会うことがない。
今夜の法話から、あなた方は、今すぐ、仏教が人類にどのような利益を齎しえるかを、よく理解してほしい。
それらの利益とは、
一、持戒、善行と心智を育成することに関する智慧。この種の心智の発展・育成は、現代科学の提供する物質的発展より、更に崇高なものである。
二、心智の発展・育成が齎す善報。これらの利益は、あなた方に短期的な楽しみ、たとえば、刃物に上に塗られた蜂蜜(+が齎す)ような利益とは全く異なる。これらの利益を体験した後、あなた方はそのことについて後悔する必要はない(=これまで、善行を実践してこなかったのを後悔する必要はない、の意か)。
しかし、これらはまだ、仏教が人類に齎す最上の利益ではない。次回の法話において、私はあなた方に、仏法を修行することによって得られる殊勝なる利益について、お話したい。
今夜の法話を終えるに当たり、私はもう一度《法句経》の中の偈を引用したいと思う:
己のみが悪をなすことができる、
己のみが己を汚染することができる。
己のみが悪を為さないようにすることができる、
己のみが己を浄化することができる。
清浄であるか、不浄であるかは己自身により、
他人を浄化できる人はいない。
このことはすなわち、もしあなた方が、己の生活を改善し、己の心を高めいたと思うならば、あなた方は清浄(+な心)を育成することに尽力しなければならない、ということである。
あなた方に代わってやってくれる人は、誰一人として、いないのだから。
あなた方が、仏法の中から利益を得られるように祈願します。
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(212につづく)
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<パオ・セヤドー講述「菩提資糧」1999年中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>