ちょうど巧みな車床師(+意味不明。辞書では旋盤工とある)または彼の生徒が、しっかりしゃがむとき、彼は『しっかりとしゃがむ』と知り、彼が少ししゃがむ時、『少ししゃがむ』と知るのと同じように、比丘が吸う息が長いとき、彼は『私の吸う息は長い』と知り、吐く息が長いとき、彼は『私の吐く息は長い』と知り、吸う息が短いとき、彼は『私の吸う息は短い』と知り、吐く息が短いとき、彼は『私の吐く息は短い』と知る。
彼は以下のように訓練する:
『私は(息の)全体を知って息を吸うべきである。』彼は以下のように訓練する:『私は(息の)全体を知って息を吐くべきである。』
彼は以下のように訓練する:
『私は(息の)身行(=息の過程)を静めながら息を吸うべきである。』彼は以下のように訓練する:『私は(息の)身行(=息の過程)を静めながら息を吐くべきである。』」
以上は、仏陀が安般念の修行方法について行った開示である。
この部分の開示は、(+仏陀が)ジャーナを証得する方法を教えたものである。
経文の中で「ここにおいて」とあるのは、仏陀の教えの中において、という意味である。
「ここにおいて」という(+事を強調するその)意味あいは、仏教以外の宗教が含まれない事を強調するのである。
というのも、その他の宗教では、このように安般念の修行方法を徹底的に指導しないからである。
このような方法は、ただ、仏教の中にだけ見つけることができる。
経文では、また「ここにおいて(真実の)沙門がいる;その他の教法の中には、沙門はいない。」と言っている。
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(4-26につづく)
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<パオ・セヤドー「顕正法蔵」2008年中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>