南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)~4-25

ちょうど巧みな車床師(+意味不明。辞書では旋盤工とある)または彼の生徒が、しっかりしゃがむとき、彼は『しっかりとしゃがむ』と知り、彼が少ししゃがむ時、『少ししゃがむ』と知るのと同じように、比丘が吸う息が長いとき、彼は『私の吸う息は長い』と知り、吐く息が長いとき、彼は『私の吐く息は長い』と知り、吸う息が短いとき、彼は『私の吸う息は短い』と知り、吐く息が短いとき、彼は『私の吐く息は短い』と知る。

彼は以下のように訓練する:

『私は(息の)全体を知って息を吸うべきである。』彼は以下のように訓練する:『私は(息の)全体を知って息を吐くべきである。』

彼は以下のように訓練する:

『私は(息の)身行(=息の過程)を静めながら息を吸うべきである。』彼は以下のように訓練する:『私は(息の)身行(=息の過程)を静めながら息を吐くべきである。』」

以上は、仏陀が安般念の修行方法について行った開示である。

この部分の開示は、(+仏陀が)ジャーナを証得する方法を教えたものである。

経文の中で「ここにおいて」とあるのは、仏陀の教えの中において、という意味である。

「ここにおいて」という(+事を強調するその)意味あいは、仏教以外の宗教が含まれない事を強調するのである。

というのも、その他の宗教では、このように安般念の修行方法を徹底的に指導しないからである。

このような方法は、ただ、仏教の中にだけ見つけることができる。

経文では、また「ここにおいて(真実の)沙門がいる;その他の教法の中には、沙門はいない。」と言っている。

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(4-26につづく)

★誤字脱字を発見された方は、<菩提樹文庫>まで。

ご協力、よろしくお願いいたします。

<パオ・セヤドー「顕正法蔵」2008年中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>