パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)~4-39
(処の)成立は念(sati):念は、(処の)成立(upaṭṭhāna)ともいえる。というのも、それは(禅の修行の)目標、たとえば息または禅相に注意、注目するのであり、かつ、そこに安住するのであるから。
ここにおいて、いわゆる処(upaṭṭhāna)とは、念の作意を意味する。念は、安定的な方向へ変化し、決定的に成立し、打ち建てられる。
観は智(ñāṇa):静かな態度で以て、禅相を観ずるのは、智である。
智でもって究極名色法を観ずるのも智である。
ここにおいて、究極名色法は以下のように分類される:
1、入息と出息の身(=全体)
2、色身
3、名身
入息と出息の身(=全体)及び色身は色法である。
心と心に相応する心所は名法である。
智でもって逐一、名色法を名色法として観照するのは、智である。
身は(処の)成立:ここにおいて、いわゆる処(upaṭṭhāna)とは、念を造作させるところの目標を指す。
身とは、念に運用させるところの処所(=場所)である。
この種の身(三種類の身)があり、それに近づき、それを目標として、それに安住するする念があるが故に、それをば「成立(=打ち建てる事」(upaṭṭhāna)という。
「身は成立」という、このいくつかの文字は、入息と出息の身(=全体)を含むだけでなく、色身と名身をも含んでいる。というのも、すべての、この三種類の方面において、上述の「智でもって観照する」ことが必要とされているからである。
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(4-40につづく)
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<パオ・セヤドー「顕正法蔵」2008年中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>