南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)~5-13

どのような禅修行の業処であっても、それは、正念のある人、また、徹底的に明覚を得た人だけに成就を齎すものではあるが、しかし、この業処(=安般念)以外の、どのような業処も、専注すればするほど、業処が鮮明になってくるのである。

しかし、安般念は育成するには、非常に難しいのである。それはただ、諸仏、諸辟支仏と諸仏子の心だけが、まるで自分の家のように感じる場所なのであるから。

これは見過ごしてよい、小さな事柄ではなく、器の小さい人間が育成できるものでもない。

それに専注すればするほど、それは静かになり、また微細にもなる。故にここでは、非常に強い念と慧が必要となってくるのである。

それはまるで、非常に精巧な布地を加工する時には、細い針が必要なように、また、もっと細くて小さい工具で針の穴を通す必要があるように、同じく、精巧な布にも似た、禅修行の業処を育成する時、細い針は念で、それと相応する、針穴を通る工具は慧であり、その両方共が、強固で健全でなければならない。

比丘は、必要とされる念と慧を擁しておらねばならず、入息と出息の、通常の場合に、他の場所ではなく、とりもなおさず、それらが接触する場所において、それらを観察しなければならない。

以上が、息がはっきりしない時、如何にして安般念を修行するべきか、という解説である。

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(5-14につづく)

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<パオ・セヤドー「顕正法蔵」2008年中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>