心が、この種の、微細な体験を処理することに益々上手になれば、中等の精通が得られる。
この時、心が安止定に安住する時間は、徐々に長くなる。
修行者は、徐々に、安止の五種類の基本的な自在を体験するようになる。すなわち、入定自在、住定自在、出定自在、転向自在及び省察自在である。
上等の精通とは、定力の高度な展開と、長時間入定が持続することである。上等の精通に到達するのは容易ではない。長時間入定したいと思う時、多くの要素が完全に整っていなければならないし、調和も必要である、身体の健康も含めて。
安止定を理解する為には、ある一つの重要な項目をはっきりとさせておかねばならない:
通常、人を迷させるのは、「なぜ、私は安止定にあっても、音が聞こえるのか?」という疑問である。
このような疑問が生じるのは、「安止定」の語彙が、異なった二種類のレベルで使われているからである:
それは、相対的なレベルと、究極的なレベルと、にである。
我々は、このことを更に詳しく、正確に検討しなければならない。
相対的なレベルで安止定に入った人は、なお、音が聞こえてくるものである。仏陀はこの状況を「定がいまだ純化していない」と言った。
ちょうど、モッガラーナ尊者の例のように:
彼は第四禅の中に安住していたが、象の叫ぶ声は聞こえてのである。
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(1-42につづく)
Idaṃ me puññaṃ nibbānassa paccayo hotu。
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<パオ・セヤドー「顕正法蔵」2008年中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>