南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

☆「掌中の葉」(翻訳文)1-41

心が、この種の、微細な体験を処理することに益々上手になれば、中等の精通が得られる。

この時、心が安止定に安住する時間は、徐々に長くなる。

修行者は、徐々に、安止の五種類の基本的な自在を体験するようになる。すなわち、入定自在、住定自在、出定自在、転向自在及び省察自在である。

上等の精通とは、定力の高度な展開と、長時間入定が持続することである。上等の精通に到達するのは容易ではない。長時間入定したいと思う時、多くの要素が完全に整っていなければならないし、調和も必要である、身体の健康も含めて。

安止定を理解する為には、ある一つの重要な項目をはっきりとさせておかねばならない:

通常、人を迷させるのは、「なぜ、私は安止定にあっても、音が聞こえるのか?」という疑問である。

このような疑問が生じるのは、「安止定」の語彙が、異なった二種類のレベルで使われているからである:

それは、相対的なレベルと、究極的なレベルと、にである。

我々は、このことを更に詳しく、正確に検討しなければならない。

相対的なレベルで安止定に入った人は、なお、音が聞こえてくるものである。仏陀はこの状況を「定がいまだ純化していない」と言った。

ちょうど、モッガラーナ尊者の例のように:

彼は第四禅の中に安住していたが、象の叫ぶ声は聞こえてのである。

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(1-42につづく)

Idaṃ me puññaṃ nibbānassa paccayo hotu。

★誤字脱字を発見された方は、<菩提樹文庫>まで。

ご協力、よろしくお願いいたします。

<パオ・セヤドー「顕正法蔵」2008年中国語版→日本語訳出 

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>