また、もし、定が強く、精進が弱い時、定には、懈怠を生じる傾向があるために、心が懈怠に征服されてしまうことがある。
故に、あなたは、気の抜けた、だらしない心で、安般念似相に専注することをしてはならない。というのも、そうすると、それは懈怠の助縁になるから。
もし、精進が強くて、定が弱い時、精進には掉挙(心の騒がしさ、浮つき)と不安定の傾向があるため、心が掉挙に征服されてしまうことがある。故に、あなたは、あまりに過剰に(精進性を高めて)安般念似相に専注しようとしてはならない。
ただ定根と精進根がバランスする時のみ、心は懈怠または掉挙に落ちないで済み、その時、ジャーナに入ることができる。
精進と組み合わさった定は、怠惰に落ちないし、定と組み合わさった精進は、掉挙(浮つき)に落ちない故に、両者がバランスされたときに、安止(+定)に到達することができる。
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(5-49につづく)
Idaṃ me puññaṃ nibbānassa paccayo hotu。
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<パオ・セヤドー講述「顕正法蔵」2008年中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>