南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)~4-36

7-5-5-1 注釈の解説

上述の解釈に基づけば、もし、修行者の呼吸がゆっくりであるとき、我々は、彼の息は長いと言い、もし、呼吸が早い時、我々は、彼の呼吸は短いと言う。

もし、彼が長い息、短い息について、非常によく専注することができるならば、彼の定力は徐々に上昇し、彼の心の中に、願望が生じる。

願望(欲)の生起:この、特別に強い願望は、禅の修行にとって、利益がありかつ重要である。

その特徴は、安般念のために行動し、安般念を修行しようとすることである。

それの生起する原因は、禅の修行の進歩によって生じた満足感による。

以前よりさらに微細である:息が、願望が生起する前より更に微細になる;息が更に微細に変化するのは、禅による修行の力によって、身体による苛立ちと落ち着きのなさが静まったからである。

喜悦の生起:清らかな愉悦または喜(pĪti)が生起する。喜の強さによって、それは「小さい喜、刹那の喜、継続的生起の喜、勇躍の喜、遍満の喜」と分類される。

当該の喜は、禅の修行に関連する心を専注することに伴って生起する喜悦であり、その原因は、その目標(すなわち、長いとか、短いとかの息の事)の静寂であり、それは、息が更に微細に変化することによって、更に強化されるが、それはまた、禅の修行がこの軌道上おいて継続されるが故に強化されるからである。

禅の修行について、定力の育成から言えば、喜悦が生起することは非常に重要である。もし、喜悦がないのであれば、あなたの定力は、持続的に進歩することは、難しい。

喜悦はどのような時に生起するのか?

もし、掉挙(=浮つき)と散乱を取り除き、絶え間なく持続的に、長いかまたは短い、微細な息に専注することができたならば、定力は上昇することができ、喜悦もまた自然に、あなたの心中に生起するのである。

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(4-37につづく)

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<パオ・セヤドー「顕正法蔵」2008年中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>