《増支部・六法集・第24経》において、仏陀は定の修習について語った時、以下のように述べた:
比丘は以下の様でなければならないーー
定に入る事において、善くて巧みであり、定に住む事において、善くて巧みであり、定から出ることに、善くて巧みであり、定の準備において、善くて巧みであり、定の行処において、善くて巧みであり、定の決意において、善くて巧みである事。
以下に述べるのは、上記の経文の中の六種類の<善くて巧み>に関する解説である:
定に入る事において善くて巧みである事ーー定に入りたいと思ったとき、迅速に、定に入ることができる。「入定自在」とも言う。
定に住む事において善くて巧みである事ーー自分自身が事前に決めておいた、定に留まる時間に基づいて、その時間の間、定に住することができる。「住定自在」とも言う。
定から出ることに善くて巧みである事ーー自分自身が事前に決めておいた定から出てくる時間に、出てこれる事。「出定自在」とも言う。
定の準備において善くて巧みである事ーー不利な、または不適切な要素を避け、有利で、適切な要素を運用する。順調に入定できるよう、心が喜ぶような、準備作業をしておく。
定の行処において善くて巧みである事ーー定を修習する目標、定の修習における禅相などをよく理解すること。
定の決意において善くて巧みである事ーージャーナを一段階ずつ上がっていく決意ができること。たとえば:初禅ができたならば、次に、第二禅に進むことを決意しさえすれば、自在に第二禅に入れること。以下類推の事。
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(2-3につづく)
Idaṃ me puññaṃ nibbānassa paccayo hotu。
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<「掌中の葉」(シッダッタ学院)中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>