<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
同様に、比丘たちよ。
ここにおいて、ある愚鈍な比丘が、行き先への知識がなく、また、欲楽からの完全な遠離、不善なる法からの完全なる遠離がないまま、尋、伺、喜、楽及び静寂で楽の生じる初禅に入り、安住する。
彼は、当該の相(ここでいうのは、安般念の似相である。本書の初めに解説済み)を、重複し(+て体験し)ないし、それを進展・強化も育成もしようしないし、正確に確立させようともしない。
彼は思う:『尋と伺を取り除いた後、私は尋と伺がない、心の内に確信のある、心の専一した、喜および静寂によって生まれる楽(+である)第二禅に入り、安住したならば、どうであろうか?』
彼は、尋と伺を取り除く事ができず、尋と伺の無い、心の内に確信のある、心の専一した、喜および静寂によって生まれる楽(+である)第二禅に進み、安住することができない。
その時、彼は思う:
『欲楽から完全に遠離し、不善なる法からの完全に遠離し、尋、伺、喜、楽及び静寂で楽の生じる初禅に入り、安住しよう!』
彼は、完全に欲楽から遠離することはできず、完全に不善なる法からの遠離することはできず、尋、伺、喜、楽及び静寂で楽の生じる初禅に入り、安住することはできない。
この比丘は、この二者の間で滑落し、落下した人、と言われる。
それはちょうど、愚鈍な牝の野生牛が行先の知識なく、また、多くの崖のある山を歩く方法を知らないのと同じである・・・」
(≪増支部≫)
こうしたことから、あなたは先に、初禅に関する、すべての五自在を掌握しなければならない。
故に、あなたには、初禅に安住する時間が不断に増加するよう、(+努力)していただきたいのである。(5-77につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>
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<パオ・セヤドー「顕正法蔵」2008年中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>