<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
1-5 Vipassana(ヴィパッサナ)
Vipassana(注1)は、修行者を苦の滅へと導く、唯一の修法である。
苦の滅は、仏法の最終的な目標であり、故に、修行者は、vipassana 修法とは何か、をよく理解しなければならない。
1)Vipassana は、一種の、心は無常・苦・無我(非男・非女)である事を知り、了解する智慧(般若)である。
その他の智慧では、三法印を理解する事ができないーー唯一、この種の実相般若だけが、三法印を了解する事ができるのである。
《清浄道論》では、これは一種の殊勝なる「超凡の智慧」である、と述べられている。
2)Vipassanaの所縁は、<今・ここ>における心身であり、もし、あなたが心身の外にある事柄を観照するならば、実相を証得する事はできない。
3)Vipassana の作用は、六根が六塵によって生起させられる煩悩を断じ除く事にあり、故に、我々の修行は、<今・ここ>において六根を照見しなければならない。
というのも、煩悩は<ここ>において、生じるが故に。
4)Vipassanaの利益は、顛倒妄想を断じ除く事にある;
すなわち、(+顛倒妄想とは)心身を常、楽、我、浄という邪見に妄執する事である。
5)Vipassanaの修法は、《大念処経》の中の四組の念処(身・受・心・法)を所縁とする。
以下において、vipassana の修行に役立つ法を紹介する:
(注1:Vipassanaは、実際は、四念処を修習した<結果(看破)>を意味するーーすなわち、16階智の事ーーしかし、今日では、「内観禅修」の意味に変化してしまった。
(1-48につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<原題「身念処」Vipassana Bhavana 第二版 アチャン・ネン著
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>