翻訳番外編~「偽比丘」の見分け方(1-2)
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
偽比丘の見分け方及び護持指南
まえがき
近年の社会は、不法の分子が、仏教の出家と自称して、あちらこちらに出没して、詐欺行為を繰り返す事が日増しに流行し、一つの社会的問題にまで発展している。
特に、マレーシア西部の都市部が、最も被害が大きい。偽比丘に最も多くみられる技法は、繁華街で托鉢する時に、市民または観光客に金品を要求し、また各種の仏教の法物を販売したり、また、仏教の名義を借用して、公衆に対して善意の募金を集めたり、またその他の、金品をだまし取るなどの、多くの非法活動をすることである。
出家の僧侶たちは、仏教の三宝の内の一つであり、また、仏陀の教えが絶えないように、仏法を宣揚する上で、非常に重要な役割を担っている。
偽比丘の事件が発生する事は、僧侶方と、仏教界の尊厳、正信にとって、大きな衝撃となり、人々をして、仏教に対して良くない印象を齎すことになり、その事によって、人々は、仏教を排斥し、仏教から離れ、仏教を誹謗するようになる。
そのため、三宝の上において、善き縁を結び、幸福の種を植える因と縁を断つことになる。
偽比丘の詐欺事件がたびたび報じられるようになって、多くの人々が詐欺にあっている事が露呈し、その為、多くの市民は、37が21なのか、22なのかをお構いなく(=事の道理をよく考えないまま)、出家者を見かけると、ただちに反感を覚えるようになった。
その為、正常なる、真正の僧侶が行脚して村に入って、一日の主食を乞いに托鉢する時、出家者に対する躊躇いがある為、間違えて偽比丘に布施する事になるのではないかと危惧して、民衆は、食物を布施したくないと思う。
そのために、福田に福の種を蒔く好機を逃してしまうのである。
この状況は、社会の善意の人士が被害者になるだけでなく、戒行が清浄な、出家の動機が聖潔な僧侶方もまた冤罪を被り、乞食托鉢する時に状況をよく理解しない民衆によって色眼鏡で見られ、また無礼な態度を取られる時もあり、結果、無辜な人々が、潔白の僧侶に悪業を為す事になってしまうのである。
(1-3につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<「偽比丘の見分け方」中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>