FDC資料「37道品ハンドブック」2-3 Ledī Sayādaw著
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
【以下の翻訳は、福岡ダンマセンター(FDC)の法話会に供する為の資料として翻訳したものです。興味のある方はご参照下さい】
四念処の詳細な論述については、《大念住経》(長部第22経)を参照の事。
では、なぜ、(+修行者は)心を呼気と吸気の安住させて、その他の対象に堕ちこまないようにするのか?
我々は、集中して、「六識」をコントロール(制御)しなければならないからである。
というのも、「六識」は、過去の無数無尽の輪廻の中でいつも、騒騒しく流動し続けているからである。
私はもう少し、詳しく述べてみたいと思う。
心霊(=心)は、「六根」の六種類の対象の内を、一つの対象からもう一つの対象へと、迅速に向かう習慣を有している。
たとえば、心霊をコントロール(制御)できない精神病患者は、食事の時間がきてもよく理解できず、何等の目的もなく、あちらこちらに漂い歩く。父母は、彼を探し出して、彼に食事をさせようとするが、彼は、五、六口食べると、食器をひっくり返し、ぶらぶらと出かけてしまう。故に、彼は、しっかりと食事をとることができない。
おしゃべりをしている時も、彼は、完璧にすべての話を話し終えることができない。彼の話は、何等意味が無く、世間的な仕事をこなすこともできず、仕事を完成させる事もできない。
この種の人間は、完全な無知の中にいるのだと言える。
(2-4につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<「37道品ハンドブック」Ledī Sayādaw著 中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>