<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
(以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です)
第七章 七覚支(Sambojjhaṅga)
「いわゆる『正覚』とは、すなわち、明確にかつ明晰に四聖諦を覚知・察知する事ができる事を言う。
いわゆる『覚支』とは、出世間の智慧であり、それは、智慧の道の構成要素である。」
鳥は、まず先に卵の形式によって、母鳥の子宮内に産み落とされ、その次に、卵の殻を破って出てくる。
その後に、雛鳥の羽毛が生えるが、生え揃うと、彼らは巣から飛び立ち、各々が、飛びたい方向へ向かって、飛んで行く。
同様に、ヨガ行者の例で言えば、彼らが「身念住」において安住する時、または「禅定」の修行を徹底的に完成させた時、まずは、長期の世々による輪廻によってもたらされた心霊(=心)の混乱から解脱することができる。
次に、彼らが「直観(=vipassana)」を証得して、「名」、「色」、「蘊」など等を覚知、察知する事ができたならば、無知から来る所の、粗くて劣っている状態から解脱することができる。
最後に、「七覚支」が開発され、熟する時、ヨガ行者は、出世間的な智慧の道において、完全に円満(+に成就)し、羽も十分に生えて、いわゆる「正覚」と言われる智慧の道を証得し、その事によって、世間的な、凡庸で卑俗な状態から解脱することができる。
彼らは、凡夫の境地から解脱して、聖者の出世間の境地、または涅槃の境地を証得するのである。
(7-2につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<「37道品ハンドブック」Ledī Sayādaw著 中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>