南伝仏教のDhamma book

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FDC資料「37道品ハンドブック」8-6 Ledī Sayādaw著

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

(以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です)

「戒清浄道」と「身念住」を安立させた後、この二種類の「慧蘊道」は、同時に「純粋観行」と「止観行」における「智慧」の機能・功能を具足する事になる。

上記の事柄は、「世間道」、「出世間道」の双方に、関連するものである。

今、私は「出世間道」の中の、ソータパナ道について述べてみたいと思う。

気を付けていただきたいのは、この著書の(+読者)の対象は、「乾観のソータパナ者」(bon-sin-san)と呼ばれる、聖者の内の最も低いレベルの者である。

今、無数の衆生、たとえば、ヴィサーカ、給孤独、帝釈天王、Cūḷaratha天人、Mahābovinda天人、Anekavaṇṇa天人(《天宮事》、四天大王、《相応部》Sagāthā品 参照の事)等、彼らは四王天界、33天界及び、それ以上のレベルの天界に住んでいる。

しかし、彼らは、輪廻の内で出生しながら、楽しく、また自在である。

彼らは、すでに欲界に七回生まれ変わる衆生となり、それぞれは、第四禅天または広果天において、6回生まれ変わるが、第一禅梵天、第二禅梵天、第三禅梵天に再生する回数は、未だ未定である。

なぜ、彼らは「ソータパナ者」と呼ばれるのか?

五大河川及び500の支流は、皆、ヒマラヤ山を源流としており、それらの水流は、遡って流れる事はなく、引き続き、大海に向かって流れるが故に、「流」(sota)と呼ばれる。

同様に、聖者は、もはや凡夫の境地に戻る事はなく、引き続き持続的に、「無余涅槃」に至るまで、(+最高レベルの)「聖者」に向かって前進する。

凡夫について言えば、彼らは、最高レベルの梵天に生まれることは出来るが、しかし、最低レベルの地獄に生まれる事もあり得る。

しかし、聖者であるならば、彼がどこに生まれようとも、二度と堕落する事はない。

もし、比較的低いレベルの天界に生まれたとしても、比較的高いレベルの天界に、再び生まれ変わる。

凡夫は、色無色界天において「三二因梵天」の境地を証得する事ができるけれども、彼らはなお「無界因の悪趣」に落ち込み、豚、犬などの衆生に生まれる事がある。

ただ、聖者であれば、もはや凡夫のレベルの落ちる事はなく、再度生まれ変わると、最も高度のレベルの聖者の境地に、証入することができる。

故に、どの天界に生まれたとしても、または再生する度に証得する境地において、聖者は後ろ向きに下がる、堕落する、という事がなく、反対に、一つの天界からもう一つの天界へと、一つの境地からもう一つの境地へと、多くの生を経て、彼らは五蘊から脱離して、「無余涅槃」に到達する・・・すなわち、最高の天界と、最高の境地を証得するのである。

この登り道が通るべき一本道は「法預流(ダンマソータ)」と呼ばれるが、それには「正見ソータ」、「正思惟ソータ」、「正語ソータ」、「正念ソータ」、「正定ソータ」が含まれる。

(8-7につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

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<「37道品ハンドブック」Ledī Sayādaw著 中国語版→日本語訳出 

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>