FDC資料「37道品ハンドブック」8-7 Ledī Sayādaw著
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
(以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です)
「正見預流」は「正見」の巨大な王国に安立し、四聖諦の光明を覚知・察知している。
「正見」を具備する王国は、「身見」の巨大な「随眠」の王国の中に安立する。
ちょうど、暗黒が去ると、太陽は上り、暗黒が跡形もなくなくなると、光明は安立される、のと同じである。
多くの生を経ながら、「無余涅槃」を証入するまで、「正見」の巨大な光明の王国は、引き続き安立される。
この生からあの生において、この種の光明はますます強化され、ますます安定する。
これはちょうど、ある人がいて、彼が彼の母親の子宮から生まれ出て以来、白内障で失明しているとする。一たび、彼がよい医師に恵まれて、彼の白内障が治ったならば、光明は戻って来るのと同じである。
白内障が消えたその時から始まって、大地、峰々、天空、太陽、月と星々等の景観は、彼に向かって開かれた。これ以降、終生、このままでいられるのである。
同様に、ソータパナ智の聖者は、三法印と四聖諦の景観を証得したならば、上に述べた盲者の例の如くに、天空、太陽、月等が見えて、これらの聖者は、自由自在に諸法を覚知・察知することができる。
「正見が安立された時、正思惟は展開・発展する!」(《相応部》・大品・道相応第一・無明品第一・無明経第一)
この点に関して、もし「正見」が安立されたならば、「正思惟」(世間の病苦から脱離した(+い?)という意念と計画、かつその他の人が痛苦を味わうのを防ぐ事を含む)も安立され、多くの生を経て、最後には「無余涅槃」を証得する。
ここにおいて「正思惟」は、如何にして安立されるのか、を説いた。
《註疏》では、「『展開』とは『成長』である!」と述べている。
(8-8につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。ご協力、よろしくお願いいたします。
<「37道品ハンドブック」Ledī Sayādaw著 中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>