聖者(ソータパナ、サターガーミ、アナーガーミ、阿羅漢を含む)は、無想有情天に生まれないし、又、悪趣にも生まれない。というのも、既に有身見を捨て去っているが故に。有身見を捨て去れば、その者がその前になした悪業は、悪趣に生まれ変わる様に誘引する力を完全に失うのである。例えば、アングリマーラは999人の村人を殺したが、これは彼の悪業となる。しかし、仏陀に出逢って後、彼は刃を下ろして比丘戒を受け、阿羅漢を証した。彼がソータパナ道を証した時、有身見は取り除かれた。もし、彼がその時に死んだのであるならば、彼の悪業が彼を四悪趣に落とす事はないが、しかし、果報は受け取らなければならず、故に彼は毎日托鉢に行く度に、人々に石を投げつけられて、頭に流血するほどの怪我をして、戻らねばならなかった。これを現生受業と言う。