Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

FDC資料「37道品ハンドブック」11-3 Ledī Sayādaw著

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

(以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です)

かくの如くに作意・思惟する衆生は、一たび完全に「身見」から解脱、抜け出すことができたならば、たとえ彼らが(+今は)人類であっても、(+心は)天神界や梵天界に向かっている。

彼らは、いまだ低層の天神界や梵天界にいるとしても、その時から始まって、比較的高級なレベルの天神界や梵天界に、生まれ変わることができる。

ちょうど、雨季の末期において、蒸気が不断に山林から空に昇るが如くに。

「身見」が断じ除かれる事によって生起する利益は、過去の業果と関連がある。

これはまさに「身見」を断じ除くことの重要性を、示しているものである。

「無我」への証入と未来の業

人類、天人と梵天の作意・思惟の内には、「身見」が、存在している。

今日は善良で、有徳の衆生であっても、しかし、明日、明後日、来月、来年または来世において、無尽蔵の悪行、たとえば、母親殺し、父親殺し、阿羅漢を殺すという重大殺業、または偸盗の業を、犯すかもしれない。

彼らは、今日は、仏教の中で生活していながら、しかし、明日、または明後日には、仏教を捨て去り、あまつさえ仏教を破壊する人になるかもしれない、という可能性さえ存在する。

人類、天人及び梵天、彼らは今まで通りに輪廻の中において流転するであろうが、しかし、一たび「無我」を覚知し、かつ完全に彼らの作意・思惟の中から「身見」を根絶したならば、彼らはその時から始まって、涅槃の最後の存在に至るまで、引き続き不断に存在し、輪廻はするであろうが、しかし、彼らは尚、仏教の中で生活するであろう。

彼らから言えば、仏教が消失した国や地域や領域に対しては、何等の価値を見出さないのである。

「身見」を断じ除く事は、未来の業と関連がある。

これは、「身見」を断じ除いた時に生起する所の、利益を示している。

過去の業はどのようにして、その効力が無効になり得るのか?

(11-14につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。ご協力、よろしくお願いいたします。

<「37道品ハンドブック」Ledī Sayādaw著 中国語版→日本語訳出 

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>