若い頃の私は、正義感が強くて、<べき論>が好きでした。
男性ならこうあるべき、女性ならこうあるべき。
ただし、フェミニストでしたから、女性の地位向上を目指しての<べき論>でしたけれど。そして、当然、仏教徒ならこうあるべき、という<べき論>も。
でも、最近思うのですが、人は十人十色、千人千色。
この人に説いて分かることが、あの人に説いて分からない。あの人に説いて分かることが、この人には分からない。
皆さん、私自身も含めて、長い輪廻に中で積み上げた業(心の癖とその癖によってもたらされる行動・結果)に
がんじがらめになっていて、ニッチもサッチもいかない。
私は、自分の周辺に起こる出来事、ものごとのすべては、皆自分が悪いのだ、という極端な自虐論は採りませんが、その事、そのものに出会うのは皆、己自身の業が基本になっている、と思えば、よりよい人生を手繰り寄せるには、己自身の業を浄化・昇華することより他に、方法はないことが知れると思います。
仏教徒は愚痴(=口でいう愚痴と無知・愚か)をやめて、己自身の内面を見つめるのが仕事。その方法は十人十色、千人千色、自分自身で見つけ出さねばなりません。
仏教は依存の宗教ではなくて、自立(自律)の宗教なのです。
<緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>