南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

『涅槃証悟の唯一の道』 パオ・セヤドー著(3‐50)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

その後、アーナンダ尊者は、ウッティヤに対して、一道門のたとえ話をした:

”賢友、ウッティヤよ。

まさに国王の(+所有する)最も遠い町において、堅固な保塁、城壁、門構えと一つの門(ekadvāraṃ)があるとしよう。

そこにいる守衛は、智者であり、有能で、精明で、知らない者を阻止し、知っている者を入城させる。

彼は町の道に沿って歩くが、道に沿って歩く時、城壁の穴や破れを見つけることはない、猫の抜け道さえも[+ない]。

彼は以下の様には考えない:

’これほど多くの生き物がこの町に入って来たり、または出ていったりする。’

彼は以下の様に考える:

’どの様な大きな生き物がこの町に入り、また出ていくとしても、彼ら全員は、この門から入り、この門を通って出ていく。’”

アーナンダ尊者は続けて、このたとえ話の解説をした:

”同様に、賢友、ウッテゥヤよ。

如来は一切の世間(+の衆生)が全員引導される事、または半分、または三分の一、引導されるかどうかに、熱心(ussukkaṃ)ではない。

しかし、如来は以下の様に考える

’すべての、世間(lokamhā)(+の内)から、すでに引導された(nīyiṃsu)、引導された(nīyanti)、または引導されようとする者(nīyissanti)、彼らすべては

1、心の汚垢(cetaso upakkilese)を捨離して、慧を高め、五蓋を弱めなければならない(Paññaya dubbalīlaraṇe)。

2、四念処において、善く心を建立し(catūsu satipaṭṭhānesu suppatiṭṭhitacittā)、七覚支を如実に修習する(satta bojjhaṅge yathābhūtaṃ bhāvetvā)、

この様であれば、彼らは世間(+の内)からすでに引導され、引導され、またはまさに引導されつつある。’”

(3‐51につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。

<『涅槃証悟の唯一の道』パオ・セヤドー著 (原題「証悟涅槃的唯一之道」) 

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>