南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

翻訳~安般念の修持法-3(本雅難陀尊者シリーズ2)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

④心は、鼻孔の周囲の禅相を知る事を保持する(+様にする)。

その後に、注意力を意門に転ずる。

あなたは(+そこに)、もう一つ別の禅相(+がある事)に気が付くであろう。

その禅相の真ん中、周囲が、どの様な色彩、どの様な形状、大小であるかを、調べる。

しかし、あまり長時間調べてはならないし、あまり急いでもならない。

というのも、あまり長く調べると、心臓がどきどきして不快になるし、あまりに急ぐと、明確な調査ができない。

ある種の禅修行者は、「私は有分を調べる」と決意する。

故に、心臓の中に入ると、有分透明界のみを、見ることになり、禅相が見えない。

各々の禅修行者は、各々、各種の問題を抱えている。

故に、禅相を調べる時、必ず決意して、「私は意門の禅相を調べる」と、作意しなければならない。

⑤意門の禅相を調べる時、約一分間だけ、真中と周囲の色彩に注意して調べる事。

真中の色彩は禅相の色彩であり、周囲の色彩は、有分透明界の色彩である。

禅相は、有分透明界の真ん中に依って(+存在して)いる。

「依っている」とは何か?

例えば私の手には、線がある。線は手に依っている。

私が着ている袈裟は、私の身体に依っている。

禅相は「有分透明界」に依って(+存在して)いる。

「有分透明界」は「有分心」ではない。

「有分心」は心であり、名法である。

「有分透明界」は色法であり、二つの名詞の意味は、異なっている。

「有分心」とは何か?

あなたが深く眠っていて、夢を見ない時の心、これが「有分心」である。

有分心の目標は、あなたが母胎に入ったあの一瞬の時の、あの結生心の目標であり、また死亡心の目標でもある。

この目標は、過去世の臨終速行心行業の目標である。

この様に、「有分透明界」と「有分心」の意味は、全く異なるものである。

(4につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。<翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>