翻訳『禅修指南』9-22
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
《縁摂受の段階》
もし、禅修行者が過去世に造(ナ、以下同様)した因を、見つけ出す事が出来たならば、すなわち、無明、愛、取、行及び業であるが、その業(すなわち、業力)と、今世の結生の時の、30種類の業生色を、相互に連貫(=関連付ける)してみる。
業と業生色の間に、関係があるかどうかを、識別する。
ちょうど、心と、心生色の間には、関係がある様に、禅修行者は、業と業生色の間に、関係があるかどうかを、正確に、識別しなければならない。
もし、関係があるならば、禅修行者は、己自ら、業生色が、当該の業によって、継続的に生起するのを見ることができる。
もし、それらの間に関係がないならば、それはすなわち、禅修行者は、業生色(kammaja rūpa)の生起は、当該の業が原因であるという事を、見ていないのである。
この場合、彼は引き続き、果報を引き起こす所の業を、探さねばならない。
前に遡るか、後ろに辿っていくかして、臨終の時に出現した所の、有分心の間の所縁を、照らし見るのである。
彼はやがて、あの果報を引き起こす所の業を、見つけるであろう。
ある種の禅修行者にとって、臨終において、二個または三個の業が、有分心の間に出現する。
まさに果報を引き起こさんとする、これらの業は、「ぶつかり合い」または「奪い合い」をやっている。
ちょうど牛囲いに囲い込まれた、一群の牛たちが、早朝に柵を開けると、我先に、外へ出ようと、争う様なものである。
ある種の人々にとって、諸々の業は、臨終の時に「争う」のである。
ちょうど、牛囲いの門の傍にいる猛牛が、角で他の牛を押しのけて、先に外へ出てくる様なものである。
臨終の時に出現する、諸々の業の中において、最も強く、かつ最も最後に出現する業が、果報を先導する事になるのである。
(9-23につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。http://bodaijubunko.sakura.ne.jp/index.html
<本雅難陀尊者(Ven. U Puññānanda)著 『禅修指南』Meditation Guide 第二版 中国語→日本語翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>y