Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

翻訳『禅修指南』9-35

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

解説

(一)依処(Vatthu):

五蘊界(pañcavokāra)の中において、名法は、ただ依処色(vatthu rūpa)が存在している時にのみ、生起する事ができる。

依処色がないならば、それらは生起する事ができない。

結生受蘊は、結生刹那において、それと同時に生起する所の、心所依処色に依存して、初めて生起する事ができる。

また、心所依処色は、単独で生起する事はできず、一つのグループ毎に、色聚として出現する。

それらは、必ず、四界の助力(Satti、例えば俱生の力 sahajāta)に依存しなければ、生起する事が出来ない。

また、心色十法聚は、身十法聚と性根十法聚と同時でしか、生起する事ができない。

こうしたことから、註釈(+書)の教えに基づくと:

Vatthunāma karajakāyo ・・・attato bhūtāni ceva upādārūpāni ca(《中部註》)。

依処は業生身(karajakāya)である。

これらの業生身は、究極界においては、種色(すなわち、四大)と所造色である。

註釈によると、色密集を看破して、究極色法を知見した後、種色(Bhūta rūpa)と所造色(Upādā rūpa)を依処色と見做して、それらを識別する。

《アビダンマ》の教えに基づけば、結生受蘊における依処色は、心所依処色である、という事になる。

經の教えに基づけば、心所依処を含む、30種類の種色すべてを、「依処色」としなければならない、という事になる。

もし、色密集を看破して、究極法を知見したいのであれば、30種類すべての色法を、識別しなければならない。

故に、以下の点に注意する事。

(經の教えに基づけば)30種類すべての色法は、皆、依処色と呼ばれる。

智でもって、己自ら、徹底的に、結生受蘊は、ただ依処色に依存してのみ、生起する事ができることを知見したならば、次に因果を識別する。

注意:毎回、依処に言及する時、常にこの様である事を理解する事。

(識別:依処が生起するが故に、結生受蘊は生起する:

依処は因、結生受蘊は果)

(二)目標(所縁):

前に述べた通り、結生名法の目標とは、すなわち、前の一世の、臨終速行心の目標である。

受は、その目標を、体験するのである。

智でもって、もし、体験するべき目標がないならば、受は生起しない事を、識別する。

この点が理解できる様になるまで、識別する。

前に述べた例は、仏塔に食物を供養する事を目標とした場合であった。

多くの禅修行者の業は、多くは、お互いに、異なっているものである。

ある種の人々にとっては、果を引き起こすのは布施業であり、ある種の人々にとっては、持戒の業であり、ある種の人々にとっては、禅修の業である。

また、布施の業には、色々な種類がある。

例えば、食べ物を供養する業、袈裟を布施する業など等である。

持戒にもまた、色々な種類があり、例えば五戒、8戒、10戒などなどの業がある。

禅修行者の業もまた多く、例えば、遍禅の修行、不浄観、安般念、慈心観、観禅などなどの業がある。

業には色々な種類があり、目標(所縁)もまた、色々ある。

智でもって、結生受蘊は、ただ目標を体験できるという状況の下でしか、生起しないという事を、識別した後、次に、因果を識別する。

(識別:目標が生起するが故に、結生受蘊は生起する:

目標は因、結生受蘊は果。)

 (9-36につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。http://bodaijubunko.sakura.ne.jp/index.html

<本雅難陀尊者(Ven. U Puññānanda)著 『禅修指南』Meditation Guide 第二版  中国語→日本語 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>