昨日、
<マウンティングー1>で、
「仏教徒はマウンティングなどしないものだ」と書きましたが、まぁ、それは相当に悟った人間でないと、実践できないのかも、知れないです。
つらつら考えるに、ある人の言説をマウンティングだと言って批判するのは、当方にも「マウンティングされた」という被害者意識がある訳で、心理的レベルで言えば、どっこいどっこいかも・・・^^;(注)
卒業した有名大学とか、過去に勤めていた大手企業の名称を連呼されると、これは明らかなマウンティングでしょうが、
子供がこんど東京で就職して・・・
とか
東京から、孫が遊びに来ている・・・
とか、そんな何気ない会話であっても、
子供や孫のいない人、その事を気にやんでいる人からみれば、それはマウンティングになる訳で・・・。
考えてみれば、私も、これに類した事は言ってますねぇ・・・^^;
タイのアチャン・チャーが
「悟っている人は何をしても正しく、
悟っていない人は、何をしても間違っている」
と言いましたが、
やはり、悟っていない凡夫(有身見のある人)は、たとえ善意からした事であっても、心は、微妙に汚染しているのかも知れませんね。
(注)「これは私に対するマウンティングである」と認識した上で、ネガティブな感情に引きずられがちな、己の心を即座に、一刹那のうちに捨する、のが正解かと思います。