翻訳『親知実見』#2-2
今回、この書籍に対して中国語の重訳を行った際、その書名に、旧版の《如実知見》を用いなかったのは、実は「知見」という語彙は、もし、それを名詞として理解するならば、漢文化の伝統的仏教の語感においては、多少蔑むの義が有される、すなわち、「知見」とは、「己自身の思慮分別に依って、立てた見解。智慧とは別物。智慧の般若とは、無分別智で、思慮分別とは離れている心識である。」とする(《仏学大辞典》)。例えば、禅宗のいう所の「知見に落ちる」云々。
本書の英語版の原題は ”Knowing and Seeng” で、それは強くて力のあるジャーナを基礎として育成された慧眼でもって、究極名色法及びその因・縁の自性相(各種の特徴)、及び無常・苦・無我の共相(共通の性質)を、己みずから了知(Knowing)、如実知見(seeng)し、かつ、この種の親知実見(己みずから知り、己みずから実際に見る事)を通して、煩悩を断じ除き、涅槃を証悟する、という意味をもつものである。
故に、我々は、この本の書名を 『親知実見』 とした。
<翻訳文責:緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>