Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

翻訳『親知実見』#7-1

#7のシリーズは、

中国語原文<P 1~P 16>記載の<脚注>の翻訳

 

<注1>=セヤドー、緬甸語sayadawの音訳(またはサヤドーとも表記)。

意味は尊敬する教師、指導者。

緬甸人による、徳の高い人望のある大長老または寺院の住職への尊称。

ある種の人々は「パオ・セヤドー」を「パオ禅師」と呼ぶが、しかし、緬甸語では、「セヤドー」と「禅師」(kammathan saya)は二種類の異なる呼称である。

ある種のセヤドー(大長老)は、禅師であるとは限らず、ある種の禅師(例えば禅を教える僧尼指導者)も、セヤドーであるとは、限らない。

<注2>=多くの”Pa- Auk”寺院が存在する為、最も尊敬するパオ・セヤドーは、屡、その呼び名の中に”Tawya”を入れて、区別する事がある。

<注3>=英語の立場から見ると、緬甸語(とパーリ語)は、重複表現の多い言語である、と言える。

<注4>=《第四講 如何にして色法を識別するか》を加えた。

<注5>=パオ・セヤドーの厳密な指導と監督の下、ある一人の<優秀者>が代筆したもの。

<注6>=第一人称複数を用いて謙虚さを表現する修飾語。パーリ聖典の義注の中において、見ることができる。セヤドーの弟子の一人が指摘する様に、セヤドーの教導は、パーリ聖典を解説しているのであって、他ではない。彼の教導は、実際に彼自身の声・意見ではなく、それは歴代の比庫(南伝の男性出家者bhikkhu、以下同様)たちが伝承してきた伝統的な声である。それは、仏陀ご本人の指導・教導を、自らの耳で聞いた、あれらの比庫にまで遡る事ができる。

<翻訳文責:緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>