Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

翻訳『親知実見』#5-2

本書第一版への反応を鑑み、また、最も尊敬するパオ・セヤドーの教導の全体性を考慮するならば、以下の四点をぜひとも指摘しなければならない;

1)ある種の人々は、便宜性の為に「パオ・メソッド」という語彙を使って、パオ・セヤドーの禅修の指導内容を表現するが、しかし、実際にはいわゆる「パオ・メソッド」というものは存在しない。

パオ・セヤドーの指導する禅修次第は、「彼の」ものではない。それは、上座部仏教の伝統<7>、すなわち、パーリ三蔵、義注と復注、特に傑出した古代の義注と禅修指導書《清浄之道》に、直接、厳格にソース・来源しているものである。

2)直接、パオ・セヤドーご本人の指導を受けるか、またはセヤドーの指定する業処教師に指導される禅修行者は、全部または部分的にも、本書で表明している所の、システム的な教導を禅修の実践に運用しなければならない。

正に、パオ・セヤドーが、パーリ聖典(律、経、論三蔵)の目的は実践の運用にある、と述べている様に。

また、正に、仏陀の教導した教理(pariyatti)と禅修(paṭipatti)は並行して進められるべきである。

教理に基づいた指導によって実修し、また体験して、最終的には証悟(paṭivedha)に向かうものである。

3)法話で話された内容は、処方の様に詳細なものではない。というのも、本書は、禅修ハンドブックではなく、単なる禅修便覧であるが故に。

4)パオ・セヤドーご本人から直接教えを受ける禅修行者、またはセヤドーの指定する業処教師に指導される禅修行者は知らねばならない;

禅修行者一人一人に対して、禅修行の近道、というものはない、という事。というのも、禅修行者一人一人には偏向(偏好、好み)、根器などがあり、それらは考慮されなければならない。

である為、禅修行者各自の実践内容は、次第と詳細場面において、本書とは異なるものとなる可能性がある、という事である。

今回の改定に当たり、本書に、已然として誤謬があるならば、編集者は、再度、読者と彼らが最も尊敬するパオ・セヤドーの許しを乞うものである!

この書籍の出版に携わったすべての人々、その最初から、彼らが付与したものの内において、無量の功徳を得る事が出来ます様に!

書籍出版の為に付与したすべての功徳を祈願し、

未来の読者がこの書籍を読む功徳を祈願し、

この書籍による支援または禅修行の成功の功徳を祈願し、

世間と出世間における成就獲得の功徳を祈願し、

これらの功徳をもってして、最も尊敬するパオ・セヤドーの健康と楽を祈願する!

<翻訳文責:緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>