Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

翻訳『親知実見』#5‐1 

英語版再版序文(第二、第三版)

第一版”Knowing  and Seeing” (《如実知見》)は、最も尊敬する、パオ禅林セヤドー(the Most Venerable Pa-Auk Tawya <注2>Sayadaw)の、台湾における止観禅リトリートの法話録である。

当該の書籍が出版された時、最大の努力を払ってはいるものの、それでも少なからぬ誤謬があった。これらの誤謬は、主に言語上の問題で、大きな障碍にはならないものの、しかし、書籍の内容に、ネガティブな影響を齎したのも事実である。

この度の改訂版は、誤植などの間違いを正すだけでなく、初心者が更に学習し易い様に、全面的な改訂を行った。

改訂版は、言語表現について注意を払うと同時に(一つの事物に対して一つの語彙のみ使用する事)、必要のない重複語<注3>及び余分な内容は削除したが、一方、多くの必要な内容を追加した、例えば図表、脚注、引用文のソース、内容の詳細な一覧表、問答に関する索引等など<注4>、またある部分においては、内容を一から改めた。

また、パオ・セヤドーは、大量の相関するパーリ聖典を引用して<緒論(序論)>を書かれたが、これは止観禅修習の大綱<注5>であると言える。

最も尊敬するパオ・セヤドーご本人もまた幾つかの術語の使い方を調整された、例えば、パーリ語のcittavīthi(心路)は、mental-process を採用し、以前使用していたthought-processは廃止した;

consciousness(心)を、一つ一つ数える事の出来る名詞とした(one consciousness 一個の心、two consviousness 二個の心)。

the Buddha(仏陀)はすべて、二つとも大文字で始まる The Buddha として、文字における表現上の敬意を表す事とした。

いくつかの緬甸語で、礼儀的な修飾語は、改訂版においても、引き続き使用した。例えば、第一人称単数の「私」、「私の」は、第一人称複数の「我々」、「我々の」と表現する・・・というのも、緬甸語においては、第一人称単数の「私」でもって、己自身を表現するのは、謙虚さが足りないと言われるが故に、などである。

当該の改訂版に関して、我々はよくセヤドーに教えを乞い、セヤドーもまた、原稿全体を再度校閲して下さった上に、彼自身の評定、更に一歩進んだ解釈、内容の修正等なども加えて頂いた。

<翻訳文責:緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>