Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

翻訳『親知実見』#31-11

問3-6:一人の人間の臨終の時、過去になした善業または不善業が原因で、業相が生起する。この種の現象は、禅修行の実践の最中に、久しく忘れていた想い出の映像が出現するのと、同じでしょうか?

答3-6:それらは、相似している場合もあるが、それは、極めて限定的な状況である、と言えるし、それは死亡が迅速に発生している人間に出現する所の、業相とも似ている事がある

問3-7:禅修行の時、すでに忘れて久しい30年前の出来事の映像が心中に出現する場合、これは正念が欠けたのが原因でしょうか?

何が心をして、修行の対象から偏離せしめるのでしょうか?

答3-7:そうである場合もあるが、しかし、作意(manasikāra)が原因であろう、と思われる。

多くの禅修行者は、作意を理解する事ができないが。唯一、名業処を修習する時になって初めて、彼はそれらを理解する。

心路の発生は、極めて快速であり、故に、彼らは、これらのイメージの表出、浮現は、作意に依る事が理解できないのである。

如何なる行法も、無縁のまま、おのずと生起することはできない、というのも、すべての行法は、因と縁によって生起する(因縁生起)するが故に。

<翻訳文責:緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>