問3-6:一人の人間の臨終の時、過去になした善業または不善業が原因で、業相が生起する。この種の現象は、禅修行の実践の最中に、久しく忘れていた想い出の映像が出現するのと、同じでしょうか?
答3-6:それらは、相似している場合もあるが、それは、極めて限定的な状況である、と言えるし、それは死亡が迅速に発生している人間に出現する所の、業相とも似ている事がある。
問3-7:禅修行の時、すでに忘れて久しい30年前の出来事の映像が心中に出現する場合、これは正念が欠けたのが原因でしょうか?
何が心をして、修行の対象から偏離せしめるのでしょうか?
答3-7:そうである場合もあるが、しかし、作意(manasikāra)が原因であろう、と思われる。
多くの禅修行者は、作意を理解する事ができないが。唯一、名業処を修習する時になって初めて、彼はそれらを理解する。
心路の発生は、極めて快速であり、故に、彼らは、これらのイメージの表出、浮現は、作意に依る事が理解できないのである。
如何なる行法も、無縁のまま、おのずと生起することはできない、というのも、すべての行法は、因と縁によって生起する(因縁生起)するが故に。
<翻訳文責:緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>