Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

翻訳『親知実見』Knowing and Seeing#39-5

不来者(Anāgāmi)と阿羅漢だけが、滅定に入ることができる。

阿羅漢に関しては、睡眠及び概念法を作意する以外において、彼が一日中、一昼夜、毎日、毎月、毎年見ているものは、名色及びその因の生・滅より他はなく、または壊滅をのみ見ているのである。<注2894>。彼は、時には、飽き飽きして、「無聊」を感じる事があり、その時は、これらの「壊滅法(bhaṅgadhamma)」を見たいとは思わなくなる。

しかし、彼らの生命が、いまだ終了しておらず、般涅槃の時がいまだ到来していないが故に、彼らは、これらの壊滅現象を見なで済む様に、滅定に入るのである。

どうして、彼らは、これらの現象を、止まることなく、見るのであろうか?

それは、阿羅漢道が、一切の煩悩(五蓋を含む)を打ち壊した為に、そのことが原因で、彼らには定力がある。

定力を擁する心は、究極法(paramatthadhamma)を如実に照見することができる。

こうした事から、究極名色法が、絶え間なく彼らの心の顕現する、それはすなわち、「壊滅法」である。

彼が滅定に入る時ーー例えば七日と仮定してーー彼はその間、壊滅法を見ることはない。というのも、入定の持続している期間、これらの現象を認知する心と、相応する心所は、みな中断されているが故に。

<翻訳文責:緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>