子供の時に読んだ中国の物語に
『龍が好きな王様』
というのがあります。
ある国の王様は、龍が大好き。
龍と関わりのあるものなら、その財力、権威に任せて、なんでも、かんでも、収集します。
龍の置物、龍が描かれた絵画、その他もろもろ。
これを、天界の龍が見ていて、龍は思います:
「それほど私の事が好きならば、どれ、ひとっ走り、会いに行こうではないか!」
その夜、龍は下界に降りてきて、王様の宮殿に行き、王様にご挨拶しようとしました。
しかしながら、王様は、本物の龍を見て、震え上がり、恐怖で腰を抜かしてしまいました。
龍はがっかりしました。
そして言いました:
「王様は、龍が好きな訳ではなく、龍が好きな自分が好きなだけなのだな」と。
この話に類似して、たとえば、我々は青春の一時期に、
<恋に恋する乙女・青年>になってしまう事があります。
恋話をしている時は楽しいのですが、では、実際に異性から、《あなたの事が好きです。結婚しましょう》
と言われると、ビビッてしまう、青くなってしまう・・・。
仏教にも似た心理現象があります。
仏教がとても好きな様子で、僧侶を誰かれなく捕まえては、仏教論議をし、滔々と持論を述べます。
けれども、たった一つ、仏教の真髄、《諸悪莫作》を説かれても、その真意が分からず、修行をする気持など一欠片もない。
こういう人は、龍が好きな王様と同じ、仏教が好き、なのではなく、<仏教が好きな自分>に酔っているだけ、仏教を自己顕示欲の手段にしているだけ。
こういう人に、私は説法、しません。
時間が無駄、舌を転がすだけ、エネルギーがもったいないし、そもそも、仏陀に失礼ですから。
<緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/
Paññādhika Sayalay 般若精舎>