1、捨具疑相応一心:
心が、痴の干渉を受けた時、目標に対して、ポジティブ(正)か、またはネガティブ(負)かの、判断が出来ず、悦具と相応する事ができないし、また、憂具と相応する事も出来ない。故に、喜も憂もない。
疑、とは、物事への疑惑であり、(物事を)正しく判断できない事を、疑、という。
通常、三宝への疑いをもって、解釈する事が多い。
もし、心中において、ゴータマ仏陀の証悟に対して、疑惑がある時、
捨具疑相応一心 が生起する;
または、四聖諦八正道が、真実、人をして、煩悩から解脱せしめることができるのか、と疑うこともまた、
捨具疑相応一心、と呼ぶ;
または、世間において、阿羅漢を証悟した人物がいる事を疑い、心中において疑心が生じる事も、同様に、
捨具疑相応一心、と呼ぶ。
(3-46につづく)
★句読点は中国語原文を優先尊重。
<願以此功徳、早日証得涅槃楽>
<緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/
Paññādhika Sayalay 般若精舎>