この様なことから、彼はまた、この類の活動に対して、なるべく逃避するであろうし、たとえ参加したとしても、そそくさと、お茶を濁すだけであろう。
そして、彼は、在家の仕事に従事する事に喜びを見出し、片や、出家しておきながら、片や、俗人の活動に勤しむのである。
彼はまた、信心(=仏法への信頼、確信)を持たない俗人または、己自身と類似した僧人と、たわいもない会話を交わすのが好きだ。
おいしい食べ物を楽しむ事、良質の物品を持つこと、札束に愉悦し、その為に、彼は、この種の俗事に疲れをしらぬ如くに参与する。
出家の様相をしながら、俗人の心を持つ、この様な僧人は、ただただ、世間的欲楽の中において腐敗する。
彼らは(僧人として)本来、世間的欲楽を目的として追及してはならない訳であるが、というのも、この事は、彼らをして、今生と来世において、堕落せしめるが故に。
(5-7につづく)
<願以此法布施功徳、早日証得涅槃楽>