7月8日に、安倍元首相が、(旧)統一教会に家庭を崩壊させられた事が原因で、教会に恨みを持つ山上容疑者に狙撃され、大変な問題になっています。
私は日本生まれの台湾人で、小・中学校は、インターナショナルスクール(華僑学校)、高校と大学(中退)は日本の学校です。
その為、日本の小・中学校の教育内容については、よく知らないのですが、日本の方々の、宗教に関する知識の希薄な事に、毎日、大変に驚かされています。
私の住まい(般若精舎)は、おんせん県にあり、その為、よく温泉施設に行って、水中運動などするのですが、その時に出会う女性や男性の方々とお話ししても
「家の宗教は・・・ああそうそう、代々○○宗だったわ。」
「法事とお盆の時に住職さんに会うので、その時、お布施を包んで渡します」
「それ以外、お付き合いはない」
と言います。
(「お寺の改修で、法外なお布施を要求されたが、田舎故、自分だけお布施しない、などの選択肢はない」とぼやく人もいます)。
これは、江戸時代に設立された檀家制度によって、おのおのの家が、半強制的に、近隣の、どこかのお寺に檀家として割り当てられ、有無を言わさず所属させられて来たため、お寺(サンガ)に属するという行為に関して、100%自己の責任の下で、本気で取捨選択するのだ、という強い意志を欠いたまま、長年の間に、生活習慣の一部分となってしまい、仏教とは何か、宗派とは何かを、あまり深く考えないままに来ているのも、一因かと思います
(ちなみに、タイやミャンマーに檀家制度はなく、一人一人が自己責任で、尊敬できる僧侶、信頼できる僧侶を探し出して、その方の下で、法話を聞いたり修行したりする)。
宗教とは何か?
私たちは、《宗教論》《宗教史》《心理学》などを俯瞰的に学んでおかねば、洗脳、集金・収奪を目的とした似非宗教、霊感商法を見分ける目が育たないのではないか、と思います。
ちなみに、私が大学で受けた授業の中で、一番印象に残ったのは、二年生の時に学んだ《宗教論》でした(次は、モンゴルの家庭制度に関する授業で、他は全部、忘れました~笑)。
宗教論を学ぶ事によって、宗教一般を、俯瞰的に、冷静に、第三者的に検証する心構えが育ちました(と自負しています。勿論、完璧ではないですが<注1>)。
仏教徒になるにしても、クリスチャンになるにしても、無神論者になるにしても、人生の指針を決める一大事な訳ですから・・・
相当深い学びが要求されるのではないでしょうか?
<注1>私は日本の仏教界が、
1、戒律を守っていない事。
2、無常・苦・無我(アビダンマ)を説かない事
を不満に思い、タイとミャンマーでテーラワーダ(原始仏教)を学びました。
テーラワーダのサンガは、戒と律を厳守しますから、洗脳や霊感商法とは縁がなく、お寺の出でもない私にとっては、幸いな事でした。
勿論、テーラワーダのサンガといえども不祥事はありますが、一家全滅する様な悲惨なものは、聞いた事がありません。
<緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/
Paññādhika Sayalay 般若精舎>