Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

翻訳(中→日)<実用アビダンマ>(33ー3)(私家版)

1.阿那含(アナガーミ)又は阿羅漢が滅尽定に入った時、その心流は、暫定的に中断する。。。               2.阿羅漢が般涅槃に入った時、彼の心流は完全に断絶する。。。。。。       6門心路過程が終結して、もう一つ別の心路過程が未だ生起しないその前に、心流が断絶しない様、心流が不断に流れる様、有分心が生起する。。。              故に、有分心の作用とは、結生識から死亡識までの間の心流を止めないことにある、と言える。有分心は果報心である。果報心と善心及び不善心を相対的に比較して見るに、果報心は業を造らない為、当然、比較的静かである。心路過程は、不善心か又は善心であるため、その波動は非常に強烈である。熟睡して夢を見ない時、有分心は生起する。夢を見る時、意門心路過程が生起する。この他、一つ一つの心路過程と、もう一つ別の心路過程の間には、必ず非常に多くの有分心が生起する。有分心の生起する回数が少ない程、その人の智慧は、鋭い事を表している。禅の修行で、安般念を観じている時、心が有分に落ち込む事があるが、それは、安般念の目標を忘れてしまったのである。有分心の生起が増々多い時、その人は、長時間、心の失念が続いているのだ、と言える。