<輪廻はあるか?>と問われれば、 私は「ある!」と答えます。。。。。 もうはるか昔ですが、禅宗系の某僧侶による講演会に行きまして、彼が「輪廻はない」と言うのを聞き、卒倒するかと思う程、びっくりしました。。。。。。。。。。 また、大学の(仏教系の)哲学科を出た人で「輪廻はない」と言う方が、まま、います。。。。 「今どき輪廻を認めるなんて非科学的」と言う訳です。。。。。。 確かに輪廻を、 《ほら!この通り、ありますよ!》 と映像にして、インジェクターに映し出して、お見せすることが出来ませんので、どうしても【有る・無い】論争になってしまいます。。。。 しかし、これ程不毛な争いは、ない訳です。。。。。。 今、<実用アビダンマ>で翻訳している、ちょうどその第5章に《結生識・有分識・死亡心》などの単語がでてきますが、これを坐禅・瞑想して、自分で確認する事ができれば、輪廻はあることが分かります。。。。 件の、禅宗の僧侶は、座禅して定に入り(その後定から出てvipassanāによって)、ご自分の心の流れを、確認する事はないのでしょうか????? ではなぜ <禅宗> と名乗るのでしょうか?(禅宗の僧侶は、禅定に入って、心身の微細な相関関係、見難きものを観察して、人生のからくりを暴くのが仕事ではないですか?)……… 追加:悟った後で、<輪廻があると思うのは己の心が作り出した幻であった> はありえますが、それはあくまで、悟ってからの話(心身は己のものではない、故に、心身の相関関係の中で醸し出される輪廻もまた己に属さない、はありえます……)。