無想有情に関して、結生として生起するのは命根9法聚である。故に「色結生」と言う。無色界の有情は、「非色結生」(名結生)といい、その他のものは「色非色結生」(色と名結生)と言う。。。。。。 例えば、vipassanā を修行する禅修行者が臨終の時、もし行法の無常を観ずるならば、臨終速行心は行法の無常を所縁として生起する。その後死亡識が生起し、滅し去る。次に結生識が生起し、新しい一生が始まる。その結生識は、欲界において生まれる。。。 欲界には2個の善趣があり、一つは人間で、一つは天界である。。。 この人物が人間に生まれたならば、彼の結生識、有分識、死亡識は、行法の無常を所縁として取る。。。 もし、天界に生まれたとしても、同様である。。。。。。。 有分識は主人心とも言う。有分識は絶え間なく生滅しており、生命の流れが絶えない様に作用している(が故に)。。。 有分識、結生識、死亡識は、主人心と呼ばれるが、5門と、意門心路過程の心は、客人心と呼ばれる。。。 と言うのも、(その心は)ある種の、外在する所の、所縁の衝撃を受けた後にしか生起することができず、その心は、あったり、なかったり、するが故に。。。 もし、一人の人間の有分心が、無常を所縁として取るならば、彼がひとたび禅修行に取り組むならば、必ずや快速に、ソータパナ道果を証得することになる。