Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

翻訳(中→日)<実用アビダンマ>(61ー1)(私家版)

■欲界結生心の所縁            欲界とは、四悪道の衆生、人と天神を言う。ここにおいて、臨終の心路過程の中では、ただ5個の軟弱な速行が生起する事が知れる。故に、もし死亡の時に、眼門に生起する所の現在の所縁(例えば赤い色)を縁に取るならば、新しい一世の結生心と最初のいくつかの有分心もまた現在の所縁(赤い色)を所縁として取る。。。。。。。               即ち、臨終速行心において、眼門に赤い色を見たなら、その死後、引き続き新しい一世の結生心の始まりにおいても、赤い色が今だ存在しているのを、現在所縁と呼ぶ。結生心、有分心と死亡心は、ともに一つの心である。同じ一つの所縁(現在所縁)を縁に取るが、その所縁は色法である。。。  一個の色法は、17個の心識の寿命に相当する為、17個の心識が消滅して後、赤い色は、初めて消える。。。          所縁は、現在のもの、過去のもの、未来のものに分類する事ができる。。。             欲界における結生は、6門(眼門、耳門、鼻門、舌門、身門、意門)の内の一つで、識知する所の目標は業相(業をなした時の道具)又は趣相(生まれ変わらんとする場所)である時、当該の目標は、現在所縁か又は過去所縁であり得る。。。        例えば、動物のと殺を仕事にしている人が、臨終の時に己が見るのが業相であるならぱ、それはナイフであり、過去所縁である。。。。                目標としての所縁は必ず過去のものであるが故に、意門を通して識知する事となる。一切の欲界での結生の目標は、ただ有限の法に限るものである。。。            業とは、善をなすか又は悪をなす所の思心所のことである。例えば、私が説法をし、かつ、その善業が熟したならば、己が、再度説法しているが如くの様子を見る事ができるが、これを業と呼ぶ。業相ではない。